こんにちは!きのはです。
本日4月16日はチャップリンデーです。
映画作家であり、喜劇俳優のチャールズ・チャップリンが生まれたのが、1889年4月16日でした。
では、チャップリンとはどのような人物だったのでしょうか。

チャップリンはイギリスのロンドンで生まれました。
両親はともに俳優でしたが、チャップリンが1歳のときに離婚しました。
チャップリンが初舞台に立ったのは5歳の時。
舞台に立っていた母親のハンナが喉をつぶし、野次を浴びてしまい、ハンナの友人達を笑わせているチャップリンを知っていた支配人は、急遽代役としてチャップリンを舞台に登場させました。
チャップリンは歌を歌って大喝采を浴びました。
7歳の頃に母が精神異常をきたし、救貧院に何度も収容される生活を送りました。
生活のために、ガラス工場や印刷所の工員等さまざまな仕事を経験したといいます。
1898年には父親とのつながりを通じて、木靴ダンスの座員となり、イギリス中のミュージック・ホールを巡業します。
この頃からダンスだけでは満足せず、コメディアンになることを夢見ていたそうです。
1903年には俳優周旋所に登録を行い、ここからチャップリンの俳優人生が始まります。
転機が訪れたのは、1914年のことでした。
チャップリンの映画デビュー作「成功争ひ」で、フロックコートにシルクハット、八の字髭を生やした扮装の、女たらしの詐欺師を演じました。
チャップリンはこの作品を嫌いましたが、マスコミはその演技に注目し、賞賛する業界紙もあったそうです。
2本目の出演作のために、扮装を決めることになり、だぼだぼのズボン、大きなドタ靴、ステッキと山高帽というスタイルを思いついたそう。
後にチャップリンのイメージになるスタイルですね!
チャップリンの監督デビュー作は1914年公開の「恋の二十分」です。
2作目も売れ、一週間に一本のペースで短編映画を監督、主演し、映画技術をどん欲に身に付けていったそうです。
この頃にはチャップリンの人気も高まり、名前が出るだけで大ヒットが約束されるようになりました。
1940年に公開された「独裁者」というこの作品でチャップリンはドイツの独裁者ヒトラーを弾劾します。
ヒトラーの政策を皮肉る作品であったため、ヒトラーは大激怒したそうです。
1947年には「殺人狂時代」という作品が公開され、資本主義や大量破壊兵器の使用を批判を行う内容の作品でありました。
しかし、ソ連と冷戦下にあったアメリカで問題になり、チャップリンはアメリカから追放されてしまいます。
それ以降チャップリンはスイスに定住しました。
1972年の第44回アカデミー賞で「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」により名誉賞を受賞。
アメリカの授賞式に招かれました。
1977年スイスで88歳で永眠しました。

実はチャップリンは親日家だったと言われています。
1916年のアメリカは日本人への偏見は強く、雇用されることは難しかったのですが、秘書として日本人の高野虎市を雇いました。
1932年に日本を訪れた際、五・一五事件でチャップリンの暗殺の危機は、高野の機転によって事なきを得ました。
犬養首相と会う予定だったそうですが、延期となり相撲の見物に行ったそうです。
チャップリンの作品を観れば、彼の魅力がさらに理解できるかもしれませんね♪
最後にチャップリンの名言を。
人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
本日もご覧いただき、ありがとうございました♪
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